好美の幕末中央区48 築地居留地
コラムcolumn
東京青年会議所(JC)ボイストレーナー・祖父江好美さん 1858年に欧米五カ国と修好通商条約を結び、横浜・神戸など五港の開港と江戸・大阪の開市をしました。当時の江戸と大阪には市場があり、それを外国人に開放した市場を開市と言います。
明治5年(1872年)に新橋・横浜間に鉄道が開通。それにより貿易が発展をした商業都市横浜とは異なり、築地居留地には文化や教育に関わる外国人が多く居留したため、教会や学校、病院、外国公使館が設けられ、文化や教育の発信地となりました。青山学院や立教学院、明治学院など、この場所を発祥の地とするキリスト教系の学校も数多く設立され、築地居留地は文教都市としての役目を果たします。
他の外国人居留地は開港場であったのに対して、築地居留地は港の無い、開市場として開設されました。続く
明石小学校脇に当時を偲ぶガス灯とレンガ