好美の幕末中央区74 薬研堀の塾
コラムcolumn

好美の幕末中央区74
一社ココラボ ボイストレーナー祖父江好美
前回の続き。評判を呼んだ清河八郎の塾は半年ほどで、12月終わりにあったあの事件、そうです!江戸の大火事で焼けてしまいました。あちゃー。 それでもめげない清河八郎は一度故郷に戻るがすぐさま江戸に戻り塾を再建します。有名なのは1857年の淡路坂の塾ですが、実はその前の1856年8月頃、中央区東日本橋の薬研堀に塾を開いています。なんと中央区にも塾があったのでしたー! さて薬研堀とは?江戸時代、現在の東京都中央区東日本橋一丁目周辺隅田川から入る水路がありました。 その水路が漢方薬を砕く「薬研」に形状が似たⅤ字型の運河(掘割)だったこと、そして周囲に薬問屋や医者が多かったことから薬研堀と名付けられたと言われています。私の大好きな!七味唐辛子の発祥の地としても知られます。現在は埋め立てられ、地名や通り名として残っています。
画像はAIで作成しました。

