幕末中央区 2024.05.09

好美の幕末中央区53 築地

コラムcolumn

好美の幕末中央区53 築地

先月は築地地区から鉄砲州付近の話をしてきました。
今更ですが、築地の名前の由来をご存知か。はい、名の通り!海を埋め立て、あらたに土地を築いた【築地】となりました。
1657年に明暦の大火(現在の豊島区で出火、江戸の町の大半を焼いた)で中央区も大半が焼け野原に。 そして 復興と共に土地が造られ中央区は、八丁堀、霊岸島とともに武家屋敷が多くなり、日本橋、京橋一帯が町屋となり広がります。
築地には西本願寺がこの地に移りますが、一方、現在の人形町から富沢町にかけて形成されていた遊郭元吉原は大火を機に浅草へ移りました。
築地にはいまでもこんな建物が残っています。
築地七丁目大宗旅館、今でも泊まれます。

WRITER

YOSHIMI SOFUE

コラム「幕末中央区」担当。声と身体を使った表現分野で活動している講師陣による団体「ココラボ」の代表。つくつきが開催したR65ミュージカルの作詞作曲演出を担当。鬼の演出家で出演者のシニアをビビらせた。幕末大好きのお母さんです。

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