好美の幕末中央区51 佃島と築地本願寺
コラムcolumn
好美さんが娘さんインフルエンザで看病!代わってて編集長が代筆に立ちます。
2月10日に築地社会教育会館で「中央区の歴史を継承する会」「一円からの落語会」が開催されその際、佃島と築地本願寺の関係についてお話しました。
江戸時代初期に家康の命により、摂津の国から江戸に呼び寄せられた佃島の漁師は、石川島の沖の干潟に築島することができました。今でも徳川本家に白魚を献上しています。
明暦の大火があり、浅草にあった本願寺が焼失しましたが、摂津時代から敬虔な浄土真宗信者であり、築島技術を持った佃島の漁師達が築地の海を埋立し、築地本願寺ができました。
さらに関東大震災時には焼失した寺内の再建に協力し、先祖の墓所を杉並和田堀に移転しました。今でも佃島の方々の墓所が遠い和田堀にある理由なのです。あらこれって幕末だっけ!?
WRITER
佐久間 保人YASUTO SAKUMA
同期の団塊の世代は小田和正、高田純次、チャールズ国王は頑張っています。おやじの4時から飲み、編集長のひとりごと、シニアのためのIT教室、佃月島新聞こぼれ話、など好き勝手に書いています。どなたか手伝っていただけませんか。