好美の幕末中央区45 日本橋
コラムcolumn
東京青年会議所(JC)ボイストレーナー・祖父江好美さん
明治44年(1911)に完成した日本橋。親柱にある「日本橋」は江戸幕府最後の将軍、第15代徳川慶喜によって書かれました。
高速道路壁面の日本橋の文字も慶喜の文字。日本橋を架けた徳川家康の子孫だということで、日本橋の意匠設計をした旧幕臣の妻木頼黄が慶喜に「日本橋」の文字の依頼。時の東京市長の尾崎行雄が、「江戸から東京へ戦火を交えず無血開城できたのはひとえに屈辱に耐え、負けを認めて恭順姿勢を貫いた慶喜公のおかげである。いわば東京の一番の恩人にこそ揮毫願うべきである」との思いから、慶喜公の字が残りました。
最後の将軍慶喜。彼の足跡はここに今も残っています。