好美の幕末中央区26 勝海舟
コラムcolumn
日本青年会議所(JC)中央区委員会でボイストレーナーの祖父江好美さんの連載コラム。
勝海舟のご紹介
前回の築地「軍艦操練所跡」からの続きです。勝海舟生誕の地は墨田区両国で旗本の子として生まれます。 貧乏な暮らしの中、幼少期から剣術に励み直心影流免許皆伝の腕前に。そして勉学にも励み蘭学塾を開きます。そんな時にペリーが来航し、身分を問わない有用な人材の登用や軍艦の建造などを書いた「海防意見書」を幕府に提出。それが目に止まり、長崎海軍伝習所教頭となり、37歳のとき、日米修好通商条約の批准書交換のため、初の太平洋横断となる咸臨丸艦長として、サンフランシスコに向かいます。帰国後は砲術師範などを経て神戸海軍操練所を創設となるのです。狭いコラム内でよくまとめました!