つくつき ぶらり新川・勝どき通信 2022.11.22

WEB版限定 ぶらり新川② 越前堀薬局前の植え込み 「間知石」

コラムcolumn

WEB版限定 ぶらり新川② 越前堀薬局前の植え込み 「間知石」

越前堀薬局の前の交差点の植え込みにこんな碑を見つけました。そこで調べてみました。

読者の小島豊美さんは「ひらけポンキッキ」や「およげたいやき君」などのプロデュースを手掛けたマルチメディアプロデューサーサーです。また『江戸明治東京 重ね地図』のデータベース制作にも取り組んでいます。その小島さん制作の重ね地図で江戸時代の新川を見てみましょう。
高橋や亀島橋は現在の位置と同じですね。新川の全体は越前福井藩 松平越前守慶永 の広大な屋敷になっています。今でもある亀島川は「越前堀」となっています。
『江戸明治東京 重ね地図』より
さて江戸時代から明治の新川はどうなったでしょうか。田宮稲荷(於岩稲荷)がありますが、大正12年創業の越前堀薬局はまだありませんよね。

そして現代です。

なるほど、こうやって重ねてみるとよーくわかります。住友ツインタワーは松平越前守屋敷の跡で、明治には「石渡敏一邸」となっています。(石渡 敏一(いしわたり びんいち、1859年(安政6年) – 1937年(昭和12年))は、官僚、政治家。 法学博士。 大審院検事、司法次官、貴族院勅選議員、枢密顧問官。)
昭和の地図も重ねてみたいですね。

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