好美の幕末中央区73 清河塾
コラムcolumn

好美の幕末中央区73
一社ココラボ ボイストレーナー祖父江好美
前回は明治維新の火付け役の1人、清河八郎を支えた妻のお話でした。
玄武館で剣を磨き、昌平黌で学問を学んだ後、1855年に清河塾を開校します。江戸で最年少、24歳の学者誕生です。当時、江戸で学問と剣術を一人で教える塾は清河塾だけでした。もともと清河八郎は幼名斎藤元司、本名齋藤正明といいます。清河塾設立に合わせ、故郷の清川(現在の山形県)の川の字を大河の河に変えて、清河八郎とこの時初めて名乗ります。
「経学・文章指南 清河八郎」と看板を出すと、昌兵黌からも生徒が集まり評判を呼びます。が!その時に以前書いたあの事件が起こるのです。次回へ
画像はAIで作成しプロントは、「この記事の挿絵を作成して写真風に、八郎の髪形は総髪」として記事全文を指示。当時に撮影したようです。

