つくつき勝どき通信

五木寛之の恩人を探せ2!2022.11.27

11月号に掲載し、HPで詳細を掲載したこのページですが、大進展がありました。
まずは以下をご覧いただき、2に進んでください。 もう1をご覧の方は2へ

五木寛之の恩人を探せ!2022.10.07

習志野市のFさんからの情報です。
友人からぜひ読んで欲しいと貸してもらった「五木寛之 人生の目的」という
エッセイに「勝どき」のことが書いてあります。ご覧ください。

早速アマゾンで購買しました。
平成12年(2000年)に発行され、元はNHKラジオ「ラジオ深夜便」の語りと日刊ゲンダイに連載されていたのようです。団塊の世代の私にとって「青年は荒野を目指す」「蒼ざめた馬を見よ」「さらばモスクワ愚連隊」「青春の門」などずいぶん読んだものです。
わが人生の絆ー青春の絆」 の章 「貧しさのなかにこそ魂を震撼させる体験がある」、後半のページに なるほど、勝どきのことが書いてありました。
「学生時代のバイトで業界紙を自転車で配達する仕事をしていた。受け持ちは築地・月島方面だった。勝鬨橋を渡るのだが、開いてしまうと当分待たなければならないため、直前にスピードを出して月島方面に駆け下りる。橋が終わったあたりで、自転車のフォークが折れて、地面に叩きつけられた。顔面を強打し、血だらけで歯も何本か折れてしまっている。ひっくり返った前に小さな洋服屋があり、そこのご主人と奥様に傷手当の面倒を見てもらった。
その後月島に行くたびに改めて「あの頃アルバイト時代にお世話になりました。今はこうして元気にやっております」などと挨拶をしたいのだが、田舎者のシャイなところで、できていない。今でも車で前を通るときなど、こっそり窓を開けてこの店だったかなとのぞいている。」 要約

昭和7年(1932年)生まれの五木寛之ですから、1952年に早稲田の露文科入学、1950年代、昭和30年代のことと思われます。この恩人を探してみます。下の画像の右側を五木青年は自転車で駆け下りていました。この画像が切れたあたりで転倒したと思われます。

五木寛之の恩人を探せ2!2022.11.27
11月号と12月号で恩人を探せ!記事を掲載しました。

R65月島カフェのメンバーで月島8丁目生れの佐藤さんから決定的な情報が寄せられました。
この昭和33年当時の住宅地図を佐藤さんに見ていただきました。佐藤さんのお住いは右端の
路地を入った都営住宅でした。

>ひっくり返った前に小さな洋服屋があり、   五木さんのエッセーにあった小さな洋服屋は
「井上商事 婦人服」ではないかとのことです。それなら月島2小の同級生「井上君」の家で、
以前月島2小の同窓会でお会いし、連絡も付くとのことです。お二人は昭和17年生まれですので
現在80歳!
>そこのご主人と奥様  は 亡くなわれた井上君のご両親ではないかと思われます。この事件
の当時は井上君は10歳程度と想定されます。何か当時につながる情報が得られそうです。
佐藤さんに現在はさいたま市に住む佐野さん(旧姓井上さん)に連絡していただくことになり
ました。

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2022年10月号 地縁-中央の江口さんの取材です。

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